人気ブログランキング | 話題のタグを見る

宮澤英夫のゲーム!特撮!アニメ!マンガ! 第三十四回 「ロボダッチ」

三十四、「アストロニューファイブ」「ミクロマン」「ロボダッチ」その4
 子供の頃は誰でも、歯医者という場所へ行くのに快く思うことはなかっただろう。治療中の拷問にも似た痛みはもちろん、待合室に入ればそこに並ぶ患者の、老若男女問わぬ憂鬱な顔。処置室へ入ると、かすかに鼻を突く消毒用アルコールや複数の薬剤が混ざった異臭。そして今は改善されたようだが、敵意むき出しと思えるほど不快な研磨用ドリルの動作音。古今東西のマンガやカートゥーンでも描かれる、子供が一番嫌いな場所だ。私も例に漏れず、佐賀の実家から二十分ほど北西へ行ったところにある歯医者までの道のりは、たまらなく気が重いものだった。
 しかし、まるっきり地獄の道行きだった訳ではなかった、そういえば大学へ上がる直前に同じ歯科医へ行き、その時に治療を担当した歯科技工士の女の子二人があまり経験を積んでなかったらしく、二人掛かりで私の口の中を寄ってたかって覗き込み、その際に両サイドから体に胸がぼんぼん当たって心身の一部がとんでもないことに、などというほとんどギャルゲ展開になったこともあった、いや今そんなことはどうでもよくて、かつてその歯科医へ行く途中に一軒の駄菓子屋が店を構えていて、幼い私は治療帰りにそこへ立ち寄るのが一つの楽しみとなっていた。
 今ある駄菓子屋はほぼ観光用のみやげ物店であり、きれいに清掃され陳列も選びやすいよう整えてあるが、ぎりぎり現役だった当時の駄菓子屋は本当にカオスな店構えだった。まさにおばあちゃんが一人で切り盛りしている状態で、お菓子の棚はさすがに食品だからある程度手を入れてあるがおせじにも清潔とは言えず、おもちゃの棚となると仕入れてそのまま置き捨てたような様だった。しかしその構造上、整理して並べざるを得ないおもちゃが一種類だけ存在した。それは箱に入ったプラモデルで、中でも数が多かったのは「ロボダッチ」というものだっだ。
 「ロボダッチ」は今井科学(現イマイ)が販売していたオリジナルキャラクターのプラモデルで、その名が表すように「ロボットの友だち」というコンセプトらしく、子供(特に男の子)が好きそうなさまざまの職業従事者やスポーツ選手の姿をしたロボットの模型である。その存在を知った当初は小さな箱が四つのパッケージでまとめて売られていたのが目に付き、「ロボダッチ」というブランドがあることなどわからずただマンガのキャラクターっぽいという印象だけで、親にせがんで買ってもらっていた。そしてしばしばその駄菓子屋に出入りするうち「ロボダッチ」の名前自体を意識するようになり、ほどなくして「ロボダッチ」という枠の中にさまざまな種類のキャラが存在することに気付いた。その切っ掛けは、箱の中に封入されていたチラシである。それは要するに「ロボダッチ」のキャラクター・カタログだが、そこではフルカラーのロボダッチのキャラたちがまさに昆虫採集の標本のごとく、等間隔だが微妙にずらした形で配置されていた。先日もここのコラムで説明したように、当時子供だった私もこのチラシを目にするうち、男児の性なのか収集、分類欲を掻きたてられたようだ。このことは、前回までの論述を援用すれば理解に難くないだろう。「アンドロイドA」(「アストロニューファイブ」)「ミクロマン」は同じ金型を使い回ししたりして、多数の種類を開発するコストを軽減し量産を可能にしたのだろうが、軍事縛りが前提条件のタカラ布陣に対し、同じ枠組みを避けて大人の職業そのものをネタにしようと今井科学の開発担当は考えたと思われる。このアイデアは、昔から人気のある野球選手や相撲取りの絵や写真を流用した、メンコや菓子のおまけのコレクション・カード、今でいうトレーディング・カードあたりから着想を得たものと考えられる。あるいは開発担当者が「ロボダッチ」発売前年に放映が開始された「がんばれ!!ロボコン」に触れ、そこから多大な影響を受けたのかもしれない。もちろん開発と放映の時期にはタイムラグがあるから断言はできないが、ネットもない当時にスパイすれすれの綿密な調査が行われたと憶測すれば、仮説としては納得の行く話である。それほど「ロボダッチ」と「ロボコン」は、偶然にしては近似し過ぎているように、私には見える。ただ、「ロボダッチ」は仮想敵だった「ミクロマン」や「がんばれ!!ロボコン」のようなストーリーを持っていなかった、少なくとも私が見聞した限りでは長尺の、ストーリー性の強いコラボマンガが幼少児向け雑誌に連載という形で載ることはなかった。それには軍事という、男の子向けとして最適なコンセプトをあえて用いなかったためもあろう。その上、この「ロボダッチ」をデザインした方が、潜水艦マンガで当時人気を博した小澤さとる先生だったことにも起因していると私は思う。
 小沢さとる先生とは、ふた昔前に訊いたなら知らない方もいたと思うが、ひと昔前に製作された「青の6号」など、潜水艦対潜水艦の手に汗握る海洋戦アニメの原作を描いたマンガ家である。ちなみに代表作は先の「青の6号」と、海上自衛隊のポンコツ潜水艦が世界の海で大活躍する「サブマリン707」であり、小沢先生自身のことについてはまた後に熱く述べる。今ここで、先生自身のことは後、と「ロボダッチ」と先生の他の作品が別枠であるように書いたのは、実は小沢先生はそれほど深く「ロボダッチ」に関わろうとしなかったのではないか、少なくともそんな気持ちがなかったのでは、と私が考えているからだ。上記した先生の代表作はもちろん戦争ものだが、同じ男児向けの「ロボダッチ」には不思議なほど軍事的要素が紛れ込みすらしていない。せいぜい、超人という位置付けで非武士系の和風戦闘員、火遁ロボとか入道ロボくらいだ。詳しい内情は知る由もないが例のチラシを深読みすれば、当時のイマイサイドは「ロボダッチ」から戦闘要素を排除する方針を採っていたような印象を受ける。一方、小沢先生はメカが描けるし人物キャラも可愛げで上品だし、何よりドンガメ707号に付属する小型潜航艇「ジュニア」などの、一見おもちゃに見えるが機能美をも備えた独特のメカデザインセンスが評価されての、イマイの発注だったのだろう。
 しかし先に述べたように、小沢先生はただかわいくてかっこいいキャラが描けるだけでなく、戦争を描くことにも長けていた。しかし先生の描く戦闘行為は相反する国益をかけた国と国とのぶつかり合い、領地、領海を得るための陣取り合戦を目的としているのでなく、第二次大戦後の自由貿易を安全に保つための、公海上の秩序を侵す勢力に対する鎮圧であった。そして海中で相対する敵の艦長と707号の速水艦長とはたいてい顔見知りで、旧知の戦友や相認める智将であることが多い。そして、ただベクトルが違っただけで敵味方に分かれてしまったが故、速水艦長は相手の改心を望みながらも、結局は本意かなわず撃滅せざるを得なくなる、という展開を多く使われている。平和のための軍備、と書くと拒否反応を起こす方もいるだろうが、小沢先生は理想やきれいごとだけでは平和は保てない、と日本の再軍備に対する風当たりが強い中、作中ではあくまで自論を堅持されていたのだ。
 ひるがえって「ロボダッチ」は、そういう目で見れば反戦平和の体現である。本来ロボットも含んだ最新の科学技術というものは、大抵において戦争が行われるごとに発達していく。しかしそれが総取替えで平和的用途にのみ転用されるなどという事態は、普通の技術論的、政治論的文脈にのっとれば不自然極まりないのである。
 しかしイマイ側は、戦いを起こさないロボットたちのパラダイスを作ろうとした。もうこの時点で「ロボダッチ」は、元来ロボットという概念の持つ本性から大きく乖離してしまった。カレル・チャペックの描いたロボットの本性は使役を請負う存在、そして機械である必要もなくまた奴隷とも違い、近代経済社会が夢想し渇望した、雇い主にとり極めて都合のよい労働者のことだ。現にアメリカ軍が無人軍用機プレデターを採用したことにより、ロボット、つまり無人兵器の非人道性を問う懸念の声は強まっている。例を近くに取れば「鋼の錬金術師」に出てきた”死なない兵隊”を想起されればよいだろう。

 これから憶測の領域に入る。小沢先生の作品を観る限り、テクノロジーとは熟練や研究でその扱いに長けた人間のみによって適切に運用されることができる、という主張がそのベースに存すると思われる。一方「ロボダッチ」の世界は最新テクノロジーのみ、つまり高性能の原水爆が起爆可能なまま思考し自走しているのと同じである。そういった技術進歩礼賛のイマイの態度に、小沢先生は言外、あるいは無意識のうちに反感を持たれたのではないだろうか。その当時、小沢先生が自ら描かれた「ロボダッチ」のマンガ版も存在しており、私も箱に封入されていた小冊子や「たのしい幼稚園」などで触れてはいたのだが、その内容はとなるとまったく覚えがないのだ。たしか枚数がきわめて少なく、たわいもない一発ギャグなんかが描かれていたりしたと思うが、代表作を押さえている今となっては、それらのマンガ版にもともとの小沢先生らしさなど微塵も感じられなかった、という印象だけは残っている。これらから察するに、先生はデザインを提供すること自体はやぶさかでなかったが、イマイ側の考えた「ロボダッチ」のメインコンセプトを無批判に肯定し、それにのっとった作品世界を構築することに難色を示されたのかもしれない。でなければ、小沢先生があんな空気にもなっていないマンガを善しとして描かれるはずがないのだ。そして結局、小沢先生や他の開発者の手で作品世界が構築されることもなく、ばらばらのキャラが互いにロボット同士であることだけに起因する、薄い絆の薄い物語が表われたのみだ。もし無理やり世界設定やストーリーを作るとしても、構成要素が単なる労働者やスポーツ選手ばかりだとそれは現実社会と等しいものでしかなく、歳幼い子供の興味を惹く対象ではなくなる。

 以上は憶測である。
 しかし、万博の余熱覚めやらぬ’70年代初頭、まさに科学技術進歩礼賛の波は世界を席巻していた。もちろん日本でも、そして九州のさらに片田舎の佐賀でも、新三種の神器の普及とともに科学信奉の幻想は人々に浸透していった。「ロボダッチ」が成功した一因は、その波にうまく乗ることができたからであろう。加えて「ミクロマン」同様さまざまなバリエーションを産出し、男児を収集、分類に駆り立てて需要を開拓し、派手なメディア展開に依ることなく販売を拡大していった。
 しかし「ロボダッチ」は「ミクロマン」ほど作品世界、世界背景が緻密でない。その表面的な理由は明確でなく、答えを見つけるとすれば上記の形で憶測するしかないが、少なくとも現象面はそうであった。一応、お約束で秘密基地も販売されたが、それにはロボダッチたちが基地を作る必然性を裏付ける(防衛や侵略などの)主体的な目的がなく、正直「サンダーバード」や「ミクロマン」などの作品世界を形だけ転用したに過ぎないように見える。それはもはや単なる「遊び場」、子供が裏山に設営する秘密基地の代用品でしかない。そんなものは自分自身で仲間を集めたりして作った方が面白いに決まってるので、一時期かなり集めた割に、私が「ロボダッチ」から離れるのは割と早かった。その時期に勃興してきた子供向けべったりでない、ストーリー面が強化されたマンガやアニメに興味がシフトしたからだろう。そして、それ以降の「ロボダッチ」の展開に目を向けることはなかったが、資料を見る限りはやはり、企画当初の枠を超えて主体性を明確にした「ロボダッチワールド」が形成されることは、結局なかったようだ。

 思い出話に戻る。件のチラシの真ん中あたりには、前述したジョブ・システムに乗っていない、つまり何を生業としているのかよくわからないキャラクターが大きく鎮座していた。それがタマゴロー、ロボQ、ロボZ、ロボXであった。彼らは個々の性格を持つという設定で、秘密基地以外で大きなサイズの箱で販売されたのも彼らのみだ。明らかにキャラクター戦略に基づいて産み出された製品である。
 しかし設定上、何の目的で彼らアルファベット・ナンバーが作られたのか、私は本当に理解することができなかった。確かに「ろぼっ子ビートン」をもっとメカメカしくしたデザインには強く惹かれるものはあった。個人的には無骨なデザインのロボZや、Zに似た姿形だがどこかユルいロボQは割と好みだったが、そんな志向はあるとしても、肝心のストーリーや世界背景が薄い(はっきり言えば、皆無な)中でキャラ立ちしているようには見えず、ビッグスケールタイプの購買までには到らなかった。ただ四個パッケージの中に紛れ込んでいた(今で言えば抱き合わせ)「ぶんぶんタマゴロー」と「ドライブタマゴロー」の両者はほとんどだまされる形で手に入れたが、ビッグスケールより造形が甘く、その上やたら四個パッケージに含まれていてダブったトレカ状態になり果て、それでビッグスケールに手を伸ばす気力すら失せたのも事実である。
 もちろんそれで収集欲がすべて削がれることはなく、ジョブキャラは結構集めていた。中でも気に入ってたのはモグラロボとアメフトロボだ。前者は当時の子供にも人気があったようで、最近の再販では初回発売のリストに堂々と入っていた。もちろん「サンダーバード」のジェット・モール(モグラ)のイメージが強いのだろう。当時の子供は「海底軍艦」の轟天号などまだ守備範囲外だろうし。でも「ロボダッチ」の姉妹品として「カーダッチ」が発表されるに到って、私の「ロボダッチ」というコンセプトに対する興味はおそらくそこでついえた。たぶん往時のF1ブームに乗っかるつもりだったのだろうが、それでは実際のF1に傾いた方がマシに思えた。TVの向こうでは、筋書きのない本物のドラマが世界規模で展開しているのだ。私は見なかったが。

 長く書く気は毛頭なかったが、あのネタがあるこのネタがある、ついでに小沢先生がらみで気付かないうちに燃えてしまい、結局このブログでは最長記録を突破してしまったようだ。話の最後に付け加えておくが、私は小沢先生サイン付き直筆タマゴロー色紙を持っている。別に直接押しかけたとかいうのでなく、東京にいた頃まだ都下だけに出店していた時代の「まんだらけ」中野店で、三千円くらいで求めたのだ。大きな折れ曲がりの跡があり状態もはっきり悪いけど、「サブマリン707」などにもはまった私にとっては、何物にも換え難いたいへん貴重な宝物である。他人にすれば、ただのゴミ以下の代物だろう。

 次号では何を取り上げるか、実は迷っているところだ。
 「ヤマト1」も通過したことだし、そろそろ作家単位の話を進めた方がいいとは考えているが、さし当たってその方向で行くとしても永井豪先生かタツノコプロにするのか、まだ決断が付いていない。単品でよほど重要な要素を持った作品をこぼしていたら先にそれを拾っておくが、おそらく上の二者のどちらかとなるだろう。請うご期待。

第三十五回へ続く


by miyazawamagazine | 2010-09-11 04:30 | ロボダッチ
<< 更新期日変更のお知らせ 宮澤英夫のゲーム!特撮!アニメ... >>